読書欲が戻った話

 大学の授業が全部終了して、それでもまぁ先のことを考えると一息もつけずに居たりした。これで一応自由の身ということらしいが、サルトル的な意味で全く開放感はなかった。刑務所の中で今日は一日自由人のフリをしろと言われたような心地だった。んで大学期間中の習慣を引きずって、今日も午前から夜まではうじうじしながら「純粋理性批判」の上巻の端を読んでたけど、夜八時になってもまだ外に出てないし、作りおきのカレーを一日以上食い続けると流石に体調に影響を与えるんじゃないかと危ぶんだので、外出した。

 

 それにしても学術書はべらぼうに高い。でもまぁ再び先のことを考えると(考えても結局)勉強するしかねぇなぁ〜と、「純粋理性批判」の下巻3600円(でも上巻と合わせても5600円だから、そうはいっても努めて良心的だ)を紀伊國屋書店の三階でいかにも自分の知的スノッブに恥じいって見えるよう沈鬱な顔で裏返してレジに出して会計し(だが店員は特に興味なさそうだった)、その後地下に降りて、あの例の妙に気ぜわしいパスタ屋で店員の眼を盗んでジュノベーゼに粉チーズを並並とかけて、真っ白になったそれをかき混ぜて見えなくした奴を薄っすいオレンジジュースで流し込み、それで腹がくちくなったらビックロで買いもしない電化製品を冷やかして、最後に3丁目辺りのブックオフに行っていつものように「孤高の人」十四巻で文太郎がK2東壁の最後の500mを登るか生きて帰るために登らないかで精神が分離する辺りを読んで、この作者やっぱすげぇとなった後に、不意にあっ本読みてぇ俺と思った。

 

 そこから、自分でびっくりするぐらい自然なモーションで、ラノベコーナーに回って名前だけは聞いてた奴を一冊手に取り、大丈夫そうなのを少し確認してはすっと抱え、ついでに文芸コーナーでも単行本をさっと選び、それから4コマ漫画で買いたかった奴をぱっと見つけて、レジに向かい、会計を済ましていた。すっ…さっ…ぱっ…で店を出てきた折には妙に晴れ晴れとしていて、なるほど読書欲ってこういう感じだったよなぁと懐の感触を確かめていた。

 

 誤解されるかもしれなかったが、本はまぁ恒常的に読む性質だとと思う。ただここ最近は、面倒な本ばかりぶつかって能動的に読む必要のために結構苦労していた気がする。そもそも積読を作り始めたのも大学に入ってからだった。そこからは買った重い本をさばくのに精一杯だったのか、それを読み進めては買い足して、また読んでを繰り返していたので、小説に関しては二年ぐらい、ラノベは丸々六年ぐらい受動的な読書欲が凍結していたと思う。今本棚を検分しても小説はそれなりにあるがラノベがほとんどない。(「人類は衰退しました」ぐらいしかない。)いくつか買ったまま中途で放置した小説もある。買ったら読みたくなるかもと思って、結局手をつけなかった奴もある。とにかく、一日中本を読んでた日もあったが、本に熱を上げた記憶がしばらくなかった。

 

 全体的に大学に入ってから、切迫した読書ではない娯楽系を意図的に避けていたというか、どうも変なリミッターをかけて、自分の読書欲をコントロールしようとしてたらしい。もともと大学に来るまでは小説しか読んでなかったから、大学に入って教養書研究書の類いを読み始めると、逆に前者を避けようとしてたのかもしれない。そこでどうして不意にそれが戻ってきたのかと考えると、やっぱ一応大学が終わって、掛けがねが外れたようだ。それにしてもつまらんことをしていたと思う。別にどんな本でも本には違いないし、娯楽に高尚も低俗もないし楽しくて気が紛れるものは、概ね良いものじゃないか、と今は思うんだが、読書欲が自分からは出ないときは結構穏やかじゃなかった気もするので、まぁ人生しゃーなし、ということだろうか。

 

 オチが面倒なので今から昭和エッセイ風の風刺に落としこむが、翻って読書欲というものは滋養と同じで、頭にいいモンばかりを詰め込もうとしても頓珍漢なことになるが、それをエラい学者がやれ教養だ、嗜みだ、早く俺の本を買えと急かしたり、知ったかぶりを吹かす輩がやい俺はこんなに読んでいるんだぞ、と現れたりするもんだから始末が悪く、悪食と腹下しが横行する。変な風潮が現れて界隈が暗くなる。本は読みたいときにだけ読めばいいし、読んだ数で特に何か箔がついたりするわけがない。だから某の蔵書が何冊だった、本読みの鑑だぁなんて脂下がる奴は早く回線切って首吊って氏ね。以上でーす。