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ニーチェ省察 二

「真理はつねに本質として、神として、最高の審級として立てられてきた。…しかし、真理への意志は批判を必要とする。ーーそこでわれわれの課題を規定しておこうーー試みに一度は真理の価値を問題にしなければならない、と」


それゆえ、カントは最後の古典的哲学者である。彼はけっして真理の価値も、われわれの真実への従属も問題にしない。この点については、彼もほかの人と同じように独断的である。彼も他の同様に独断的である。彼も他の人々も、次のようには問わない。誰が真理を探求するのか。つまり、真理を探求する者は何を意志するのか。彼の類型、彼の力能の意志はいかなるものであるのか、と。哲学のこの不十分さの本性を理解する試みをしてみよう。誰もがよく知っているように、人間は実際にはめったに真理など探求しない。われわれの関心も、同様にわれわれの愚かさも、われわれの誤謬よりもいっそうわれわれを真実から引き離している。しかし哲学者たちは、思考である限りの思考は真実を探求し、「権利上」真実を愛し、「権利上」真実を意志する、と主張する。思考と真理の間に権利上の結びつけを設定するにも関わらず、哲学は真理を、哲学自身の意志であるような在る具体的意志に、諸力の或る類型に、力能の意志の或る質に関係づけることを避けるのである。ニーチェはこの問題を、それが置かれている場所で引き受ける。彼にとっては、真理への意志を疑うことは問題ではなく、人間は実際には真理など愛していないということをもう一度想起させることも問題ではない。ニーチェが問うのは、概念としての真理が意味しているものであり、この概念が権利上どんな形質化された諸力と意志とを前提しているかである。ニーチェは、真理に対する誤った要求ではなく、真理そのもの、理想としての真理を批判するのだ。ニーチェの方法にしたがって、真理の概念をドラマ化しなければならない。


「真実への意志、これはわれわれを幾多の危険な冒険へ誘うことであろう。この有名な誠実さについては、すべての哲学者はつねに敬虔な気持ちで語ってきた。なんと多くの問題をこの真実への意志はわれわれに課してきたことか! …われわれのうちのいったい何が、真理を見出そうと意志しているのか。実際われわれは、この意志の起源の問題の前に久しく佇んできた。そして結局、われわれは、さらにより根本的な一つの問題の前で完全に歩みをとめてしまった。…われわれが真実を意志することを認めるとしても、ではなぜ、むしろ非ー真実を意志しないのか。あるいは不確実を。あるいは無知さえも。…では、このことを信じられるだろうか。結局、この問題はこれまで決して提起されたことがなく、それはわれわれによって初めて見ぬかれ、注目され、断行されるように思われる。」
(G・ドゥルーズ 「ニーチェと哲学」江川隆男訳)

 

 

真理自体の価値など必要ない。真理が問いに立たされることは、真理自体の導きの中にある。というのも、まず不定の真理を探せば、みんなその真理に従っていることがわかるはずで、真理への意志も発見されたこの真理の中で語られることだろう。カントはこの点において誤っていた。ニーチェは此れに対して真理を求める意志を要請することで、カントより前に問いを設定した。「そもそも真理を必要とするのは誰なのか?」

 


この問いはしかし、あらゆる意志を壊すアナーキズムへの回帰を意味しない。価値は不定ではないだけで、価値は批評によって別々に創造される。一見は一元性を捨てたように見える人が言う。ヘーゲルは失敗した、カントも不十分だ、ならばツァラトゥストラという多を司る彼こそ、今日から新しい神となる、これこそが否定の用意する最後の躓きである。

 

というのも、問われなかった真理への意志という点で改めて読み直されれば、彼らとてニーチェの語るものと同じように、素晴らしい概念の創出者達である。ただし彼らはある前提を無化したまま高度な問いを創出している。魚の釣り方を問題にするとき、餌の付け方を問う人と、釣り場の場所を問題にする人がいるように、これらは問題のレベルが異なるのだ。


とはいえ、ニーチェは彼らに対して、その編成を根底から覆えし得るような問いを創出しただけで、彼らに対して優越する(つまり真理への距離として先取した)、あるいは問いの価値を無化するところは何一つないのである。確かに、この必然として真理への意志を問わないとき、現実の欺きに対して空想の世界に真理を用意するとき、生の否定として生じることになるニヒリズムがいまや無への意志であると判明し、ニーチェの問いの中ではどうあっても袋小路に向かう。だとしても、これらは意志自体の一つのれっきとした亜流であり、彼らの意思自体は問われないままも清廉さの中にあり、それを間違った意思であるとして否定するべきだという考え方は、そもそも問いが用意した射程からは「権利上」用意できない。