ゲームレビューその2
やったゲームの感想 それほど批評的でもないし、まさにまさに雑記。またメジャーなのも多いがあしからず。
1 Ryse son of rome
エンジンこそ専用ではないが映像がただただ美しい。ただ美しいのではなく、ベン・ハーの世界を手回しカメラで移動するような喜びを感じる(酔いやすいが)。風景の中で、あるいは戦場の中で一番おいしいポイントを移動する喜びがある。いわゆるQTEが多用されているし、ゲーム性に乏しいという意見は当然あり得る。ただそれはしばしばゲームの映像が貧しい時に使われるいわば捨て台詞で、これだけ調和の取れた世界とたくましく尊敬に値する闘士に、我々が小賢しい技術を弄して介入する必要はないとすら感じる。それにしても勇壮さに寄り添った巧みな脚本が素晴らしい。
2 Portal /Portal2
ここにはカリフォルニアのスピリット、つまり卓越したインダストリアルデザインを感じる。何がいいたいのだろうか?マイクロソフトの実直さではなくアップルの柔軟性、ブラックベリーではなくIphoneである。Vaultはゲームをデザインするとはかくあるべきという姿勢を見せ、平面に対する思考を「横紙破り」に「風穴を開け」て「風通しを良く」した。物理法則の変則だけでゲームをデザインすることは、最も単純な喜びでありながら何度でも我々を驚嘆させる。同時にこれはゲーム性へのあるパロディを含有している。穴の向こうの部屋は、本当に同じ部屋なのだろうか。そして話に聞いていた通り、Gladosは本当に可愛かった。
3 borderland
僭越ながら、途中で飽きてしまったし、また今後手をつける予感がない。なるほどコミック・ワールドをジープで走って賞金稼ぎを行うGorilaz-fallout世界は魅力的だ。だが、ここにはオープンワールドとしての生気がない。そもそもキャラクターを設定して没入するはずのゲームがFPS、しかも大きな目的がないというのは致命的だ。これでは賞金稼ぎというロールをやってるのか、些末な報酬系にドライブされてるのかわからない。そして全く歴史のない荒野はディテールへの注視を巧妙に拒んでしまい、この点が失われた歴史の上にかぶさった汚染された大地という二層構造になっているFalloutのディテールとは格を隔ててしまった原因だと思われる。
4 Life is strange
最高なんだよな(オタク)そもそも批評的作品なので話しだすとめんどくさくなるので割愛。話してもネタバレだし。やれ。アメリカのスクール・カルチャーというコアに寄り添ったゲームは大体面白い。
5アンチャーテッド エルドラドの秘宝
123が入ったコレクションを買ったのでその1。これはノーティドッグの往年の名作クラッシュバンディクーの翻案、要するにジェットコースターってことでいいんじゃないか。プレイヤーをドライブさせる脚本が結構ハードなジャンプ判定とウジャウジャ湧く敵で割と阻害されてる気がするが、そもそもベリーハードまで設定してるんだから基本的に死にゲーと見て相違ない。
それにしても2007年に多くを期待するのは間違いな気がする。背景や世界観への信頼感がなく、うっかり長回しするとゲーマーを冷めさせるんじゃないかという恐怖のために、いたずらにせっつかれされてるような印象。おそらくこの問題は開けていて歩き易過ぎる空間のデザインも共有している。アナログカメラでプレイヤーの視線をデザインするということは、これと2の間で創始され始めた概念なのではないか。(余談だが邦題はインディージョーンズ風。まぁそりゃそうっすよね~)
6アンチャーテッド 黄金刀と消えた船団
いまやっている途中だが、明らかに1と違う点がいくつもある。遠景と近景の巧みな交差、つまり視線のデザインであり、ランドスケープとディテールの萌芽。1のアスレチックのジャングルジムを遊んでいた感覚とはわけが違う。明らかに世界の作り込み方が違う。例えば開けた空間に入るなら、最も魅力的な巨大建造物をカメラが中心に据えるように動く。とにかく、ここから本物の「大作」が生まれたように思う。予算というか、映像力がもうぜんぜん違う。
6 Shelter
いかにもインディーズゲームらしい一発勝負の作品。要するに食物連鎖がドラマでありそれだけですらゲームになり得ることの実験として機能しているのだが、食物連鎖にドラマを見出すのは所詮人間であり、彼らに生死に対する観想はないというところまで描くのはすこし誠実過ぎるというか、びっくりするような命の雑な扱いにしびれたりする。割と荒いポリゴンの世界も彼らの認識力の所以だとすれば何か感動を蓋ぐニヒリズムすら流れている気がする。パッケージのいかにもなほんのりヒューマニズム感よりも真面目で冷徹な作品。
5 Dead island
これもどうも手を付けるのが面倒なことが徐々に判明してきた。そもそもお使いゲームとはお使いに足るだけのサスペンスやフェティッシュな喜びが必要なのに、酔いやすいゴロゴロしたカメラで南国を彷徨う楽しみはゾンビがぶち壊しにしてくる。それにしても武器はいつでも消耗しているから逃げるしか無いのは仕方ないが、ゾンビはどこからでも襲ってくるのでせっかくの景観に対する信頼感をゲームが否定してくる。しかもゲームのシステム自体に新鮮な喜びはないとなると、壊れない強い武器を見つければ乾いた暴力衝動しか残らないわけだ。南国の楽園にゾンビが出現する、という設定の面白さを投げつける以上のワンダーを期待したかっただけかもしれない。
6 Middle-earth shadow of mordor
途中でゴラムが出てくるまで指輪物語のスピンオフだということすら知らなかったのだが、筋書きは単純な復讐物でしかも大軍を一人で崩していくという内容で割と燃える。ゲームシステムもオープンワールドというほどもない広さを個性的なシステムで無理なく反復させているし、中ボスはやり方を覚えると消化するだけにしても、序盤は同じ奴に何度もやられて名前を覚えていき、なんとしても倒してやると手管を使いはじめる過程などに独特な喜びがある。アクションも大胆ながら繊細で、アビリティの育成はほとんど一本道とはいえそれらの使い所を考えるのは楽しい。また大軍をやり過ごして大将だけ倒すという任務が多いためステルスゲーの緊張感も損なわれておらず、大作志向風のミドルクラスの雄という感じだが、マップや似通った反復が多いため多少の心残りは仕方ない。
7水着バレー(DOA EXTREME3 fortune)
神話。肉体の彼岸。
『肉体は悲しい。 ああ、読んだぞ わたしは 万巻の書を。
逃れさる! 彼方へと遁れる! その海に 百千鳥の 酔う様は
砕け散る 見知らぬ波と 天空の あわいに懸かり
引き止めはせぬ もはや何も… 眼に映る 見慣れた庭
それさえも 引き止めはせぬ 海に心が 浸るのを。
(~)出発する! 目指すはただ 異郷の果ての 大自然よ!
倦怠は 酷い希望に うちひしがれて なおも頼むか
打ち振る絹の 今を限りと 別れのしるしを!
さらばだ、マストも 違いはない、嵐を呼んで
猛り狂う 遭難の海の 風に傾く 帆柱か。
跡形も無い マストもなくて マストも豊かな 鳥影もなく……
我が心よ、されど開け、水夫たちの 歌声を聴け!』
(「海のそよ風」マラルメ)
では、
僕が水着バレーで撮った写真を貼って解散です。
なお、僕が水着バレーで撮った写真は今後も公開されます。
Steam ゲームレビュー1 ”FIREWATCH”
最近ゲームばっかしてるのでゲーム記事書いた。多分今後も書くのでその1とする。
実は次回、誌で用意してる企画が、…まぁ色々ありまして。
載せる場所もないのでブログに投げる。
Firewatch
http://store.steampowered.com/app/383870/?l=japanese (このゲームはPS4版が発売されていると聞いて、PS4しか持っていなかった僕は小躍りして探したが、なんと米国アカウントのみの販売だった。というわけで販売は事実上steamのみ。)
最近多くのゲーム会社(特にスタートアップ企業)が、ひたすら広大で凝ったマップを用意すればプレイヤーが喜んで飛び跳ねまわると思ってる。冗談じゃない!プレイヤーは全員超近視眼的なので五秒毎にタスクを思い出さないと広大なマップでとりあえず身近な人を殺しまくるという最悪の暇つぶしに興じて、しかも自分ですぐに飽きてレビューに「広いだけの糞マップ」とつける、クリオネみたいに素朴で、マンボウより精神が脆弱な人々なのだ。「全部自由にやらせてくれよ!」の類いの請願を真に受けるとそうなる。そしてこの問題に関して、このゲームはとてもクリアな解答を用意したと思う。
いくらかの選択肢を交えながら叙情的に主人公ボブの経緯を語り終えたあと、君は森林火災監視員に就任して、普段は高い木組みの塔の上で生活しながら、時にトランシーバーの向こうの女性の指示を受けて、森の向こうの不審な火元や花火の類いを発見する。そしてそれを確認したり消したりするために地階に降りて、鬱蒼とした森の中を行ったり来たりすることになる。
しかし、下に降りるともうその火元が見えないし、もうどっちの方角で火が上がってたのもわからなくなる。そこで君はついに(億劫で)(嫌々ながら)地図とコンパスを使う。このキーボード配置が若干遠くに在るので、実際何度も出したり仕舞ったりするのは超面倒。しかも出してる間は走れない。
地図にはあたりをつけた場所が勿論乗っている。だが地図は地図なので、自分が見ている方向との照応性はない。なのでコンパスと突き合わせながら方向を正して、改めて周りの地形と照らし合わせなければならない。それから景色を見渡しながら、さっきみた地図の記憶を頼りにおずおずと進む。だが、森は濃くてランドマークもない。地図を逐一確認しないと、君は行き先を見失って間違ったまま道を突き進んで、すぐ自分がどこにいるかもわからなくなり、泣きながらさっきの道を戻ることになる。どう考えても最悪に不便で不快な経験だ、普段ならば。
だがこのゲームの最もエキサイティングな経験、それは迷うことだ。
なぜなら現実の世界で迷うことを「自分から」望むのは難しい。そもそも目的がなければ迷わないので散歩とも違う。迷うというのは間違った道を進むことだから、当然普段から迷ってばかりではいられない。目的があって迷うことが出来ても、「何時に◯◯へ…」のような時間的な条件があれば、目的地から遠ざかったりすればもはや精神の余裕は全く無いし、間違いなくパニックになる。
その点このゲームは、最高に望ましい形で迷うことができる。時間はたっぷりある。君はいい景色があったら使い捨てカメラで撮ってもいい(この使い捨てというのが実に良い、実質20枚程度しか撮れないから、必然的に撮るべき景色を良く考えることになる)し、地図とコンパスを見ずに記憶だけでどこまでいけるのか試してみてもいい。多分、失敗するが、失敗した先に発見があるかもしれないという期待は、むしろ君を積極的に迷わせるだろう。
またストーリーに関係があってもなくても、発見したものにつけてしばしばトランシーバーをつけて窓口の先の女性と雑談できるイベントが用意されている。この雑談の内容は大抵くだらない。これで何を思い出すかと言えば、MGS1~3のやりこみ要素としての、くだらない無線だ。他愛ないおしゃべりは素晴らしい。
この会話は基本的にラジオを通してリアルタイムで行われるが、相手の答えに対して返信が自動的に現れるのではなく、まずラジオをつけてそれに反応するか、しないかを選択できる。つまり、そこで応答しないこともできるし、その場合にも「応答しなかった」ことへの反応がある(「応えるのがそんなに難しかった?」とか「答えたくないならいいけど」とか)。
返信のタイミングにtabキーを押せば、更に最高3つの選択肢の中から応えることになる。この選択中にも時間制限は進んでいて、反応しなければ時間経過の非回答として会話が進行する。こんな具合に、トランシーバーの会話にしては非常にインタラクティブな会話なのだ。
大抵の会話はそれほど重要ではないので適当に答えるといいが、時にトランシーバーの女性の繊細な気持ちに応えるような状況で、毎度三つの選択肢から時間制限ありでベストのものを答えようとしたり、あるいは何かウィットの効いたことを応えたいと思った場合は、確かにネイティヴ以外にはしんどい部分だし、もちろんネイティブにも悩ましいものだろう。(かく言う僕もネイティブじゃないので、気を抜くと重要な英語の指示が左から右に出ていくが、最低限の指示は確認できるようになっているし、そもそもそれほど複雑な指示はありえない。)
ところでこれが逆だったら、つまり毎回リアルな会話の選択肢に、何分でもかけて最良の選択を選べるような状況だったらどうだろうか?それは会話自体の魅力を、与えられた会話の選択肢に自分の気持ちを近づけて成功させようという気持ちを削いでしまうし、相手と同じ時間と状況を共有してる気分にはなれないかもしれない。つまり、時間内に答えなければならない、という状況は、時として、何時間でもかけて答えられるよりは緊迫感が維持され、ゲーム体験が刺激的になる可能性がある。
ゲームにおいて、確かにその空間自体の質が、ゲーム体験を決定するほどに重要な要素になり得る。本作の彩色が強くてテクスチャーもゴテゴテした感じは懐かしい感じを覚えさせて好印象だ。だがそれだけで終わりのはずがない。多くの人は、よく出来た箱庭を与えられれば、気分が最高になり、ゲームレビューに★5つを付けるほど感受性は開かれていないのだ。加えてそういうゲームは思索を必要とせず、割りと簡単に作れて、もっと最悪なことにB級ゲームとして市場に溢れかえっている。
そこで、なにができるのか、何をすべきなのか、あるいはまた何ができなくて、何をするために時間をかけるべきかを用意することこそ、むしろ当面ゲームがより追求すべき問題じゃないか?この点で、ゲーマーは決して生のままの自由(レッセフェール)を望まないのは確かだ。時にこのゲームのように、地図とコンパス、そしてラジオの向こうの女性の指示を頼りに、森の中を頭を使って彷徨いたい、迷いたいと考えているはず(だがこれは矛盾した願いなので彼らの頭にはそうそう浮かばないだろう。)
読書欲が戻った話
大学の授業が全部終了して、それでもまぁ先のことを考えると一息もつけずに居たりした。これで一応自由の身ということらしいが、サルトル的な意味で全く開放感はなかった。刑務所の中で今日は一日自由人のフリをしろと言われたような心地だった。んで大学期間中の習慣を引きずって、今日も午前から夜まではうじうじしながら「純粋理性批判」の上巻の端を読んでたけど、夜八時になってもまだ外に出てないし、作りおきのカレーを一日以上食い続けると流石に体調に影響を与えるんじゃないかと危ぶんだので、外出した。
それにしても学術書はべらぼうに高い。でもまぁ再び先のことを考えると(考えても結局)勉強するしかねぇなぁ〜と、「純粋理性批判」の下巻3600円(でも上巻と合わせても5600円だから、そうはいっても努めて良心的だ)を紀伊國屋書店の三階でいかにも自分の知的スノッブに恥じいって見えるよう沈鬱な顔で裏返してレジに出して会計し(だが店員は特に興味なさそうだった)、その後地下に降りて、あの例の妙に気ぜわしいパスタ屋で店員の眼を盗んでジュノベーゼに粉チーズを並並とかけて、真っ白になったそれをかき混ぜて見えなくした奴を薄っすいオレンジジュースで流し込み、それで腹がくちくなったらビックロで買いもしない電化製品を冷やかして、最後に3丁目辺りのブックオフに行っていつものように「孤高の人」十四巻で文太郎がK2東壁の最後の500mを登るか生きて帰るために登らないかで精神が分離する辺りを読んで、この作者やっぱすげぇとなった後に、不意にあっ本読みてぇ俺と思った。
そこから、自分でびっくりするぐらい自然なモーションで、ラノベコーナーに回って名前だけは聞いてた奴を一冊手に取り、大丈夫そうなのを少し確認してはすっと抱え、ついでに文芸コーナーでも単行本をさっと選び、それから4コマ漫画で買いたかった奴をぱっと見つけて、レジに向かい、会計を済ましていた。すっ…さっ…ぱっ…で店を出てきた折には妙に晴れ晴れとしていて、なるほど読書欲ってこういう感じだったよなぁと懐の感触を確かめていた。
誤解されるかもしれなかったが、本はまぁ恒常的に読む性質だとと思う。ただここ最近は、面倒な本ばかりぶつかって能動的に読む必要のために結構苦労していた気がする。そもそも積読を作り始めたのも大学に入ってからだった。そこからは買った重い本をさばくのに精一杯だったのか、それを読み進めては買い足して、また読んでを繰り返していたので、小説に関しては二年ぐらい、ラノベは丸々六年ぐらい受動的な読書欲が凍結していたと思う。今本棚を検分しても小説はそれなりにあるがラノベがほとんどない。(「人類は衰退しました」ぐらいしかない。)いくつか買ったまま中途で放置した小説もある。買ったら読みたくなるかもと思って、結局手をつけなかった奴もある。とにかく、一日中本を読んでた日もあったが、本に熱を上げた記憶がしばらくなかった。
全体的に大学に入ってから、切迫した読書ではない娯楽系を意図的に避けていたというか、どうも変なリミッターをかけて、自分の読書欲をコントロールしようとしてたらしい。もともと大学に来るまでは小説しか読んでなかったから、大学に入って教養書研究書の類いを読み始めると、逆に前者を避けようとしてたのかもしれない。そこでどうして不意にそれが戻ってきたのかと考えると、やっぱ一応大学が終わって、掛けがねが外れたようだ。それにしてもつまらんことをしていたと思う。別にどんな本でも本には違いないし、娯楽に高尚も低俗もないし楽しくて気が紛れるものは、概ね良いものじゃないか、と今は思うんだが、読書欲が自分からは出ないときは結構穏やかじゃなかった気もするので、まぁ人生しゃーなし、ということだろうか。
オチが面倒なので今から昭和エッセイ風の風刺に落としこむが、翻って読書欲というものは滋養と同じで、頭にいいモンばかりを詰め込もうとしても頓珍漢なことになるが、それをエラい学者がやれ教養だ、嗜みだ、早く俺の本を買えと急かしたり、知ったかぶりを吹かす輩がやい俺はこんなに読んでいるんだぞ、と現れたりするもんだから始末が悪く、悪食と腹下しが横行する。変な風潮が現れて界隈が暗くなる。本は読みたいときにだけ読めばいいし、読んだ数で特に何か箔がついたりするわけがない。だから某の蔵書が何冊だった、本読みの鑑だぁなんて脂下がる奴は早く回線切って首吊って氏ね。以上でーす。
2015年ベストアニメ回10選(含アニメ評)
今年もそろそろ終わりとなってきたのだが、アニメに関しては備忘録ぐらいつけておかないとどういう年だったか思い出せないと思う。
それで困ることもないかもしれないが、とりあえず今年は実況とかしてかなーりだらしなく見てしまったことは悔いていて、まぁ作品ごとに受容の仕方は分けているつもりだが、それにしても第二の禁呪詠唱(ワルブレ)を見つける作業に従事し過ぎた気がする。
というわけで、TL見てたらやりたくなった、今年のアニメの話単位のベストを残しておきます。しかしこの手の判断に必要なのは、年内のオールシーズンのアニメに関する等質な眼だと思うんですけど、USBHDが物故割れてしまい、今年の冬アニメ(1月〜6月)はな〜んと記憶だけが頼りなんですな、これが。お兄さん許して〜。
あと、ランキングとかは必要ないと判断しましたわ。
第34話『「ダービー・ザ・ギャンブラー その2』
脚本=ヤスカワショウゴ 絵コンテ=津田尚克、江副仁美 演出=江副仁美
作監=小美野雅彦、渡邊葉瑠
ジョジョ、この辺りはハッタリが効いててムチャクチャ面白い回が連続してし、こっから勢いが落ちなかったのは神がかってたなぁ。多分に質のいいOVAがあったから、なおさら気合入れたんだろうなぁ。
まぁジョジョのあの八頭身のキャラは見かけには縮こまってるほどより絵に凄みが出るんで、特にこの回のあの陰影に富んだ顔とゴツい陰影の指のクローズアップは卑怯です、かっこいいし。やってることはお互い無茶苦茶に姑息な騙し合いというか、実はポーカーやると誰でも思いつきそうなハッタリなんだけど、あの銀河万丈声のダービーが汗だくになってアレコレ考えてしまうのが益々良い。そんで落ちが最高なんですよね。この回、また見たいぞな(HDDから消えてる)しかしすげぇなこの顔。
がっこうぐらし!
第七話 『おてがみ』 脚本=小太刀右京 絵コンテ=許平康 演出=吉田俊司
【あ、その話、しちゃう?みたいな顔で】がっこうぐらし、大枠の構図が露骨過ぎて人によっては敬遠されてたと思うんですけど、エピソード単位で観ると粒感あった。まぁ「信頼出来ない語り手」的な見方も良いと思うんですが。
そんでこの回は小太刀右京節という感じで。前半は実は自分の見てる学校がフィルター掛かったディストピアだってことに気づきそうになったユキが混乱して逃げ出すという感じなのだが、それを見咎めたミーくんに対してくるみが「気にすんなよ、誰も悪くねぇよ…」って…お前そのフォローは中々すごいことになってないか…それじゃ本当にユキが残念でお荷物な人みたいな感じになってないか…?と舌を巻いたりした。
後半は、学園生活部が手紙を書いてどこかに飛ばす、というハートフルな話なんですけど、どこに着いたかまで描かないのが良いんですよ。外にゾンビがいるのに何を書くべきかな〜とかどんな人が取るかな〜とか女の子らしくアレコレ考えてそのロマンチックさに酔って完遂しちゃうという筋、とにかくどっちも創り手が色々無責任で良い(;´∀`)女の子がひどい目に合う話が好きなのだが、その冷酷さに世界=制作側が無自覚だと更に良いと思う。世界が少女の苦痛に無関心だという地獄。というわけでB級二本立てみたいな感じで。デス・プルーフ&プラネット・テラーinグラインド・ハウスみたいな感じでどうだろうか。ゾンビ映画だし。
第十話(最終話) 「湯加減いかが?」
脚本:高山カツヒコ/絵コンテ:飯村正之/演出:飯村正之/作画監督:前田明寿・ 藤原奈津子・乗田拓茂・小林千鶴
【あ、その話しちゃう?みたいな顔で(再)】トリアージX、あれ絶対面白かったよ。様式美の類って、棄却された奴(例えば古き好き西部劇とか刑事ドラマとか)を今見せられたら、その完成度にビビるみたいなことがあるわけですが、あれは絶対、捨てられたナニカの高純度な和風バイオレンスの様式美、いいよね…。なぜそこで乳、なぞそこで尻、ビキニがバイクで来て殺る、みたいな。その乳と尻がまた全部デカすぎて、そもそもおそらく乳圧が戦闘力として図られるような世界で、あの世界では乳圧が足りないと多分レイダーみたいな人々にブチ殺されてしまうと思われるのだが、そのおかげでスケは全部マブイぜ。そんで皆シャキッとしててカッコいいんだよな、最近はそういう乳と尻が好きです、ハイ。
それで最終話の十話が最高なのは、どう考えても打ち切り感マックスな前半の温泉回風の総集編と「悪は倒されてないので今日も俺たちは忙しいぜ…」みたいな感じで後半にはカーチェイスで小悪党を倒す。そしてエピローグなのだが、なぜか主人公がヒロインのビキニバイク女に拾ってもらわず、EDを歌うデュエットの片割れのちょっと寂しいソロバージョンの曲と共に、封鎖されて車の通らない寂しい高速道路を、終電逃した人みたいにてくてく歩いて帰るんですよ。しかもその映像に「何も解決なんかしていない」とか赤羽P声の主人公が言ってしまう。ここの確信に満ちた映像がもう有無を言わせんわけで、「俺たちはやれることをやりきった、誰にも打ち切りだとかカドカワ特有の十話構成の犠牲者だとか言わせねぇ」と言わんばかりの自身に満ちた足取りの帰宅なんですよ。だって普通なら、何か次回につなげる雰囲気とか、「実は不完全燃焼だったんですよ〜」みたいな匂わせ方するよ。だから、凄い。面白かったしね。そして僕が大好きなOPの歌詞の一番もここに残しておきます。
triage / 藏合紗恵子
作詞&作曲&編曲:流田Project
風のように切り裂いて
その命燃やしてる
加速するスピードは
限りなくゼロに近づいた
そんなの一瞬で簡単に奪って
止まる鼓動に背を向け歌う
今、死の選別を
嘆きの銃口を
永久の空に向けて
妖艶な体に使い捨ての魂
限界迫られた生死のトリアージ
愛なき死のゲームに突き動かされて
花びら舞うように美しく
その胸撃ちぬいて
いいよね…
グリザイアの迷宮
特別編 「カプリスの繭0」
脚本 高橋竜也 絵コンテ 阿倍孝雄 総作画監督 渡辺明夫 桂憲一郎 高澤美佳 米澤優
グリザイアは、例の特殊な映画版のサイズのフィルムを取るためにかなり難儀したらしいんだが、妙な映画の直訳風の展開と鼻につく台詞回しとあいまって不思議な代物になっていた。まぁそれにしても、ハリウッド的な戦争映画、スパイ映画の雰囲気とエロゲー的なドロドロヒューマンドラマを調合した結果、ムチャクチャ安っぽい学生制作のジュブナイルドラマみたいになってしまったグリザイアの迷宮は、「どこまで本気でやってるのかはわからない」という点では魅力的だった。例えると、江戸時代の絵師さまが中世の肖像画にあこがれて、必死に墨汁と炭でそれを再現しようとした感じで、熱気を感じさせた。というか、米国産のスパイアクションとか戦争巨編をキャラ物として切り取るとあぁなってくるのかな?
あとこの作品全般の主人公キャラとしての風見雄二がこの特別編を通してとても魅力的な人間に変わったのは、一期でヒロイン救済マシーンとして七面六臂の活躍をした彼が悪魔のような人間たち(この露悪的な味付けな)にしごかれて鍛えられたって背景が明かされて、どうも尊敬と同情が入り混じってしまったんだろう。「守りたい、この笑顔」みたいな奴。 話は本当に全般的に映画の見過ぎっていうか、映画に憧れた作家が書いたんだろうなって感じでリアリティは無いんだけど、でもそれが胸の奥がすーすーして好きなんだよなぁ(良いとか悪いとかでなく好き)。どうも今年は不思議な作品に愛着を抱いていたと思う。そういう見方ってやっぱだらしないか?
第四話「ウニクレソン」
脚本 清水恵 絵コンテ:山岡実 演出:山岡実 作画監督:中小路佳殻
この最初の三秒が…って話しましたっけ?(した)原作にはない絵なんですが、導入として結婚式に参加してたのが人目でわかる絵、それ以上なんですよね。いや、何度見てもすげぇな〜これ。ケーキ入刀のピークの折に、みんな写真手前の入刀をカメラで撮ってるんだけど、皆どうもケーキの方を撮ってて、まぁそんなもんだよなぁと。そんでワカコもそれを見てるんだが、シャンパンのグラス持ってるし、身体が横に半身になってて、酒飲みのだらしなさが伝わる。その一方で「あたしはそういう話ないけど一人飲みが楽しいのでな…」という達観も伺えて。またそれほど懇意ではない人の結婚式だったことが、新郎新婦の目線が入っていないことから伝わるが、更にここにワカコにパンフォーカスが入って、入刀を終えて急速に冷めて、帰りの飲みに気持ちが傾いてくのがわかるという、三秒でやれることをやりきったというそういうカットでした。内容も食レポっぽくあるのだが、一般的なやり方に対して「オツな飲み方」を用意していくワカコのスタイル、シブいねぇ…まったくおたくシブいぜ…。あと食道楽アニメにしてはきっちり制作の工程が描かれてて、このあとで作る人の立場も担保されてて良いのではないでしょうか。
全てがFになる
第一話 「白い面会」
脚本:大野敏哉 絵コンテ:神戸守 演出:黒木美幸 作画監督:近藤圭一・栗原優
正直演出が核になるネタだから、撮ったら賛否両論間違いないと思ってたけど、1話は部屋の微細に言った描写、煙草の吸い方から部屋での振る舞い方(鏡の近くで軽く身体を伸ばす)、ほとんどが的確な情報量の配置で間違いのない作品だと思った。シリーズの後半はまぁダレてたというか、落ち着いて撮れなくなってたぽい。白塗りの遠近感に乏しい空間が多くなったからかな。あとOPのロトスコープで撮った、線を散らすように動く身体をグリッド上に配置するというのはなかなか皮肉が効いてて好きだし、OP製作者が言ったように内容に全く関係がないというわけではない。
(アニメーション分析っぽい話だが)本編は統御された繰り返しの身体の動き、煙草を吸ったり灰を落とす動きとかが強くて、多分劇団四季みたいなのが好きなんだろうなという感じ。演技付けも大げさだし。その意味ではOPの創作ダンスは、ある種の動きの総体としての電子的な観測例だとも捉えられるし、だから関係がないという形で関係がある、と。統御された日常の動きの反復に対して、それを逸脱していくような電子状の不定形(アンフォルメル)の動きというのが、私は好きです。
それからこれを開き直りと言っていいのか、結構止まってる絵を煙草の煙とかチラつきエフェクトの説得力で持たせるのは意欲的だ。割りと真面目に見てたつもりだけど、後半ダレたのは俺のほうだったか?
ヤング・ブラックジャック
第七話 「苦痛なき革命 その1」
脚本:金春智子 絵コンテ:東海林真一 演出:東海林真一 作画監督:青木一紀、清水健一、千葉茂.
OPの裸に鎖と耽美色が強すぎる絵で、完全にゲテ物だと思ってたら化かされたという作品で、何とブラックジャックの過去を扱うにあたり、時代背景として六十年代の政治社会問題に重点的に扱った結果、守銭奴で保守的だったはずのブラックジャックが、超意識高い活動家になっていたのですよ…。(ただ安保闘争に対してはニヒルな辺りがバランス感覚に富んでるのだが)
でもムチャな設定に見えてドラマが丁寧だったので、気づくと毎回かなり入れ込んで見ていた。これは中でも出色の一本だと思うのだが、ブラックジャックが研修に来てるシカゴの病院に、吉野裕行が充てる黒人の無痛症の男が入ってきて、彼は過激な運動に果敢に立ち向かう姿を讃えられて重症を負いながらも黒人に勇気を与えてたんですが、医者の恋人に無痛症を見ぬかれて治療を迫られた所、「この不当な痛みに黒人は耐えてきた。この痛みは嘘なんかじゃない、そう、俺は痛いんだ、俺たちは痛いんだ…!」と豪語するその凄みでオーイオイとかなり涙ちょちょ切れてたんですが、その後に、「あの男の身体をマトモにしなきゃ〜」みたいなことをYBJの連れのスケが言った所に、明らかに精神的に自分を重ねて肩入れしちゃってるブラックジャックが「今のジョニーは十分マトモさ!!」って言って、お前…それは熱すぎるっしょ〜…とドボドボ泣いてしまったのね、アタイ…。
映像としてですが、モダナイズされたブラックジャックがかなり愛嬌があるイケメンという感じで、何度見ても気持ちがいい顔というのは発明だと思う。一方で他のキャラはかなり手塚準拠というか元ネタがあるらしく、割りと顔が固いので異様な雰囲気があった。
Charlotte
第二話「絶望の旋律」
絵コンテ:浅井義之 演出:太田知章 作画監督: 鈴木理沙・市原圭子・杉光 登.
全体の話とキャラは、「んーまぁ、いいんじゃないですかぁ〜…」という感じで。でも僕は11話でいきなり中国人の殺し屋集団が出てくるのは、結構アップストリーム文学っぽくて面白いと思ったが黙っていた。
誰も指摘してない気がするが、光の入り方と空間が贅沢な作品で、立体的な構造の中に光が入る絵なんかひどく芸術的で、作品の外枠を埋めるどころか、格調まで与えてしまってる。この話はそれが惜しみなく発揮されてて、何度か見た。
こういう何気ない絵にも画面深度は勿論、光の反射と透過が入ってるのが細かい。注目はやっぱり光源の反射や透過と直接の照り返しを分けてるところでしょうか。
こんぐらい気合入れた演出、京アニもやるよって指摘はありえるんですが、内容との兼ね合いで良く働いてるのはこっちだという話です。つまり底がないように見える…そこが内容、という感じで…どうだろうか…(小声)
響け!ユーフォニアム
第八話 「おまつりトライアングル」
脚本=花田十輝 絵コンテ・演出=藤田春香 作画監督=秋竹斉一
そうです、山に登って女二人でぬっちゃくっちゃとはしたなくまぐわる、あの回ですが、山は夢診断おじさん的には男根の象徴だそうですね、あれ?
これ、「魔の山」的なジュブナイルっていうか、オリュンポス山とかそういう感じでしたね。山に登って巫女がトランス状態になって秘儀を授けるって感じの。百合の秘儀、これね、この秘儀は山の上に登らないと授けられないとか絶対そんな感じだよね、「地面が星空みたいだ〜」(久美子)とか「お祭りの日に山に登るなんて馬鹿なこと、他の人達はしないよね?」(麗奈)とか、あと裸足になるし。むしろ神話のメタファーですよ。多分あのフラれた男も低地で唐突に告げたからで、山に登ればよかったんですよね〜…というわけでもなく、実際は祭だって十分にトランス状態の場なので確変チャンスなのですが、多分本当に駄目だったわけで。一方であの二人が山の上で練習した曲は「愛を見つけた場所」だし…(この手のスポットは挿話で「あそこで告ると絶対に恋が叶うらしいよ…」みたいな導入があっても然りなんですが、そこまであざとくはなかったのか)
見返してみると麗奈はめちゃくちゃ個性的な価値感をお持ちの方奴〜wだし、久美子は久美子でついに明かされる天才の独創的な世界に圧倒されてる感じだし、一方は山に登ってハイになってたんでしょうな。(あっ、「私イタいのが好き」ってやっぱりそういう意味か)
でも性格悪い同士の百合カプっていいよね…というのは「人類は衰退しました」の私ちゃん×Yできっちりエビデンスが取れてますからね。あれも秘密の部屋の中で、かなり秘儀伝承的だったな。
当然クリスマスイブにこれを見た結果、血の涙を流しながらFallout4でサイコをキメた後、世紀末覇王ばりにスレッジハンマーで一般人をぶっ殺して周りました。メリー糞して寝ます。
十九話「If you're lost, let's sing aloud!」
絵コンテ・演出・作監:赤井俊文
コンテ担当者毎の構図上の伝言ゲームは最初は刺激的だったが、後半はあざとすぎて自家発電だゾイ…と思ってきたりしたモバマス。内容は広告は大作巨編風の割に小回りを聴かせてたというか、視聴者に餌を投げてた感じだった。後々考えるとこの方策で単に成功したのがモバマスで、失敗したのが艦これだっただけの話か。最終話もまぁ穏当に終わった一方、大作巨編風のスペクタクルを期待してた層が少しじれてた印象。
んで、あのブレイクスルーになった四話と同様、絵コンテ演出作監全部、赤井俊文がやっちゃった回。四話はアニマスの1話の翻案でキャラ紹介の側面が強かったが、この回はな…、最後のライブシーンですよね…あの…尊い〜(耐え切れずという面持ちで崩れ落ちる)
いや、最後だけ良いというより、解放までの緊張感、お互いを慮ってるがゆえにすれ違ってしまう二人の思惑の交差を、先輩のナツキチが最後は取り持っていく。だりみくの関係も、ユーフォニアムのドロリ濃厚ピーチ味みたいな百合じゃなく、三ツ矢サイダーみたいな百合です。それに最後に個人ライブでギター伴奏で独唱なんて、男の子がやられてしまうアレですよ。撮り方もね、ライトがギンギラでオアシスのPVみたいでカッコいいんだよね。そしてそれを眺めるみくの目が「あぁコイツ立派な大人になっちゃったんだな〜」って憧れる目なの!!!それにだりーなが手を伸ばして!!!みくがめっちゃ嬉しそうに!!!ッア!!!!!!
あと最後のナツキチの美城常務に担架切ったあと、エレベーターで降りていく辺りは「progress」が流れてもいい感じです。
それと赤井サンってこういう構図好きだよな…という話をちょっとしようと思ったらヤバイスロットみたいになってしまった。
終わり。
余談
お気づきかもしれないがあまり良く出来たアニメに何か言おうと思わなかったりします。血界戦線とかワンパンマンとかはまぁ、物量で押すアニメなんで…、あとレーカン!とえとたまは話単位で触れるポイントがなかったが触れたかった。良いアニメです。
それでは最後はこの画像で締めくくらせて頂きます。
こら!!ROMだけでずるいぞ!!君も書きなよ!
良いお年を。